薬研藤四郎

三管領(さんかんれい)の一つである畠山(はたけやま)家の畠山政長(はたけやままさなが)と、その従兄・畠山義就(よしなり)の家督争いに端を発し、戦が始まった。応仁(おうにん)元年 (1467) から十一年続いた応仁の乱である。この戦を機に、日本は戦国の世に突入していくことになる。 さて、この乱を引き起こした畠山政長は、義就との戦いに敗れた。潔く切腹しようと取り出したのが、のちに「薬研藤四郎(やげんとうしろう)」と呼ばれる短刀・藤四郎吉光(よしみつ)である。 鎌倉時代中期、京都の栗田口(あわたぐち)で活躍した短刀作りの名手・粟田口吉光(通称・藤四郎)の作である。 政長は、覚悟を決めて短刀を腹に突き立てた。ところが、ぶすりとも刺さらない。 何度やっても刺さらない。

「いざというときに役に立たない。このナマクラめ!」

政長は怒って短万をぶん投げた。短刀は、部屋の隅に向かって一直線に飛んでいき、そこに置いであった鉄製の薬研(やげん…薬草を磨り潰す道具)をブスリと突き通して止まった。 それを見ていた周りの者たちは、「この短刀は、主の命を自ら絶つことをためらったに違いない」とその場で感嘆したという。

以来この短刀は「薬研藤四郎」と呼ばれることになった。 また、諸大名の間でも、「粟田口吉光の短刀は、斬れ味は抜群だが主人の腹は斬らない」「守り刀に最適」と評判になり、こぞって吉光を求めたため、数が足りず 無銘の短刀に「吉光」と偽銘を切ったニセモノも出回るほどだったという。 主を守った薬研藤四郎の所在は、現在不明である。

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